記憶のバトン。

一日の終わりに糠床をかき混ぜながら、ふと思い出すのは、幼い日の、台所での祖母とのやり取りだ。
台所の床に広げた新聞紙の上で、鰹節を鉋でおろしたことや、すりこぎを小気味よく動かす祖母の作業がしやすいように、すり鉢をしっかりと両手で押さえたことや、床下の糠樽を腕まくりしてかき混ぜたこと。ガス釜の内側にへばりついたご飯粒をしゃもじで集めおむすびをにぎったこと。祖母の手から生み出される数々の料理。混ぜご飯や鯵のたたき膾やカレー粉を隠し味にしたつみれ汁や林檎の入ったポテトサラダや…。
祖母は特別料理を指南するわけではなかった。わたしは彼女の傍らで、ただその手元を見つめていた。そうやって料理の塩梅や加減といったものがわたしの中に刻まれていったように思う
仕込み始めてまだ日の浅い、ようやく野菜の捨て漬けを終えたばかり糠床を手で混ぜながら、あの日の糠みその手触りや匂いや色を昨日のことのように思い出す。
それは今のわたしを活かす記憶であると同時に、百歳に手の届こうとする祖母のなかから抜け落ちた記憶でもある。