適う。

秋に庭に植えたチューリップの球根が芽を出しました。たくさん植えたうちの一つが教室で手を挙げる小学生のようにすっくと芽を出したのでした。なんだかとても元気で嬉しそうです。

よくよく見るともう一つ、そっと小さな芽を出している子がいました。「へへっ、見つかっちゃった」こちらはなんだかはにかんでいるようです。
見落としがないか、さらによく見渡してみると他はまだ準備中のようです。
それぞれに芽生えの時があり、それぞれに花が咲きます。そこには遅いも早いもなく、優も劣もありません。すべてが時に適って美しいのだと感じます。
昨年12月の半ば、パンを焼くために酒粕から酵母を起こし始めました。ガラス瓶に酒粕と水と砂糖を入れ、プクプクと発酵し始めるのを待ちます。ところが何日経っても瓶の中は静かなままです。お砂糖を足したり、瓶を日なたに持って行ったり、いろいろとやってみましたが、揺らした時ごく小さな気泡が出るだけでまるで力がありません。これではパンを焼くどころか、発酵補助剤にもなりそうにありません。この静かな酒粕酵母の使い道も思いつかず、かと言って捨てるには忍びなく、時々お砂糖を与えながら棚に置いておきました。年末年始、別の酒粕は別の方法で元気な酵母を起こし、そこから何個もパンを産み出してくれました。
正月も明け、静かな酒粕酵母は相変わらず棚に置かれたままになっています。死んでしまったかな? 瓶を揺すると、ぷつ・・・ぷつと小さな気泡が現れます。弱いけど確かに生きています。わたしは思い切ってこの微力な酵母をパン種にしてみることにしました。
全粒粉と合わせ、エサとなる砂糖を少し加え様子を見ます。力のある酵母は一晩程度の時間で倍に膨らみますが、今回は1.2倍程度にしか膨らみません。やっぱりと思いつつ、かけ継ぎの時に蜂蜜を加えてみました。すると、一晩経たないうちに倍に膨らみました。
今、静かな酒粕酵母は三回目のかけ継ぎを終え、パン種へと育って行っています。この酵母にはこの酵母に適った時間と発酵方法があり、育て方があったのだと気づかされます。もし最終的なかけ継ぎまで十分に育ってくれなかったとしても、それはふっくらとしたパンにならなかっただけのことで、また別の方法で生かしてあげれば良いだけなのだと思う、発酵の日々です。