続.生命をいただく。

子どもの頃、自宅の隣に養豚場があり、百メートルほど離れたところには屠殺場がありました。朝、豚は列を組んでキーキー鳴きながら屠殺場まで歩いて行きます。大きな板を持った人が列の前と後ろにいて、豚を挟むようにして道路を行くのです。途中、逃げ出した豚が家の庭に迷い込んできて追いかけられたこともありました。
直接、屠殺しているところは見たことがありませんが、巨大な金属フックに掛けられた豚の半身が屠殺場に下がっている光景はよく目にしました。
また屠殺場の横を流れる川には豚が丸ごと投げ捨てられていることもありました。何らかの理由で食肉として出荷できない豚だったのでしょう。今では考えられないことです。
また、養鰻場も身近にありました。鰻を買いに行くと、樽から取り出した活鰻を目打ちし素早く捌いてくれます。一切、無駄な動きのない職人の鮮やかな包丁捌きには、思わず見とれたものでした。鰻と一緒に鯉も売られていました。生簀から網で取り出された鯉は、頭を棍棒のようなもので殴られ、気絶させられてから捌かれ、あらいや鯉こくへと姿を変えていきました。
田舎は今でもそうですが、犬や猫、イタチやタヌキ、ウサギといった小動物が道端によく死んでいます。カラスはそれを目ざとく見つけ、競うように食い漁ります。その骸に虫がわき、次第に朽ちていく様が自然と目に入ってきました。そうやって生き物の生命と死を肌身に感じながら暮らしていました。それは決して死に無感覚になることではなく、生命への畏れを感じることでした。
わたしたちが食べるもの、ひいてはわたしたちの生命は、こうした生き物の死の上に成り立っているということをごく当たり前に受け止めていた子ども時代でした。